当世流行の劇場(1)


(フーガ君は我が家の人気者)
 キアーラはアンナにわかってもらいたかった。ヴィヴァルディにとってヴェネチアは必ずしも居心地のいい街ではなかった事を。もちろんヴィヴァルディは有名だったし、ピエタ合奏団での功績は内外で認められていた。それがピエタ合奏団の演奏技術のさらなる向上と人気につながっていた。ヴィヴァルディはオペラにも精力を傾けていた。毎年複数のオペラを創作しては劇場で公演していた。そんなヴィヴァルディが人気者でない訳がない。ヴィヴァルディの人気は、ヴェネチア独特の風土が支えていたともいえた。
 ヴェネチアは貿易国だった。多くの国の船が出入りしていた。遠くはアラブやトルコの船までもが出入りした。それは多くの人々や多くの思想もヴェネチアに集まってくるという事だった。当然ヴェネチアローマ教皇の権威が及びにくい風土になっていた。だからヴェネチアは出版大国でもあった。いろいろな思想を自由に発言、出版する事ができた。
 そんなヴェネチアの風土がヴィヴァルディの人気を支えていた。つまりは彼の音楽の人気を支えていたのだ。そのヴィヴァルディでも居心地の悪いヴェネチアがあった。それは彼とは立場の異なるプライド高き人々だった。教会関係者や貴族はもちろん、同業者ですらここではヴィヴァルディの敵になった。
 多くの同業者は、ヴィヴァルディとは反対の方を向いて仕事をしていた。その中の一人の同業者が、ヴィヴァルディを批判した音楽批評本を出版した。これが出版された後の音楽の歴史を鑑みると、この本で書かれた批判が、逆にヴィヴァルディの真価を証明していた事に驚かされるのだ。