ピエタの噂(3)


(誰がブタネコだって〜?)
「以前にもプレーテ・ロッソが失踪した事があるの。アンに話したよね?それはアントネッラがピエタに来た時だった。結局先生は2年間ピエタに戻ってこなかった。でも戻ってきてからは、もの凄い勢いで協奏曲を書いていたわ。それはもう誰もが近寄りがたい雰囲気だった。私たちピエタ合奏団を指導している時もプレーテ・ロッソは突然、『あとは勝手に練習しておけ』と言い残して帰ってしまうのよ。そして次の日にはもう新しい協奏曲が3曲も仕上がっていたの。
 ある日先生は私に言ったわ。『どうだい?私は忘れてはいないよ。』って。
 私はその時はなんの事だか分らなかったけど、その協奏曲が、バッソンやオーボエの為の協奏曲だったので思い出したの。プレーテ・ロッソは失踪する直前、確かに私に言ったわ。『管楽器の為の協奏曲を書く。』って。
プレーテ・ロッソは約束を守ってくれたのよ。それどころか、それ以上にピエタの事を愛してくれた。パオがバッソン奏者として頑張っている事を先生に伝えると、彼はさっそく新しいバッソン協奏曲を創ったのよ。彼は結局30曲以上のバッソン協奏曲を作曲してくれたの。彼はオーボエ協奏曲もたくさん創ったけれど、アントネッラはあまり勤勉ではなかったわね。オーボエを練習しないでフルートばっかり吹いていたわ。 
 そしてなにより私への、いやピエタへの最高の贈り物がヴァイオリン協奏曲だったわ。それは、過去の協奏曲とは比べものにならないくらい素晴らしい出来栄えの曲だった。
 プレーテ・ロッソは私に言ったの。
『キアレッタ、君がいてくれたからこの協奏曲ができたのだ。ヴァイオリンの超絶技巧を聴衆が楽しめるのだ。これこそが真の協奏曲なのだよ。』
 本当にその通りだった。プレーテ・ロッソが作曲し私が演奏したこの協奏曲は全曲とも大成功だった。ヴァイオリン協奏曲【春】【夏】、そして【秋】【冬】それから【海の嵐】【狩り】【喜び】それに数曲の短調の素敵な作品など、全部で12曲ものヴァイオリン協奏曲を総称して【和声と創意への試み】というの。その曲集はヴェネチアに出入りしていた音楽好きのオランダ人が持ち帰ってすぐに出版されたわ。アンもその出版楽譜で練習したのでしょうね。」
「ええ。でもピエタの皆、特に新人はたくさんの楽譜を写譜しなければならなかったので大変だったのでしょうね?」
「それが違うのよ。写譜の大変さは私が一番よく分かっているつもり。私の頃はまだよかった。だってそんなにたくさん楽譜がなかったわ。だけどプレーテ・ロッソは本当に多作かなの。私が彼に、
ピエタの皆は写譜をするのが大変で練習する余裕がない。』と訴えたの。
だけどその時は、プレーテ・ロッソは笑いながら、
『ハハハ、しょうがないなあ。私は写譜するよりも速く作曲できるのでねえ。』なんて暢気な事を言っているの。腹立つでしょう。
だけどその次の日に、彼はピエタ合奏団の皆を前にしてこう言ったの。
『君たちはもう写譜をしなくていい。写譜は私の親族にやらせる。その方が私の稼ぎも増えるのでね。以上!』
だからピエタでは嫌な噂が広まったわ。