アントニオのゴンドラ(4)


(ゴンドラに乗っている気分で)
「俺の心境が少しずつ変わってきたのは、パオラさん、君がピエタに来てからだと思う。あいつはパオラさんの話をよくしていたよ。妹のように可愛いとも言っていた。俺はちょっと嫉妬したね。誤解しないでおくれ。君にではなくピエタにかなあ。いや、楽しそうなあいつにだったのかもしれない。ピエタの看板娘である天才ヴァイオリン奏者、キアレッタにだ。
 もちろんあいつは俺の前では昔と変わらなかった。俺の前ではいつも楽しそうだったよ。でもそんなあいつが、おれにとってだんだんと遠い存在になっていったのだ。ピエタも俺の知っている頃とは違う。ピエタ合奏団もヴィヴァルディ先生のお蔭で格段に上手くなった。今では、『ナイチンゲールの鳥かご』よりも有名になった。そこの看板娘であるあいつの恋人が、新米ゴンドラ漕ぎの俺では不釣り合いではないか、と考え始めたのだ。」
「アントニオさんはどうしてゴンドラの船頭に転職したのですか?」
「理由は2つだ。造船所をクビになった。そして大好きな海で自由に歌いたくなった。つまり、俺もあいつと一緒で音楽が大好きだった、という訳だ。」
「でもどうして造船所を辞めさせられたのですか?」
「それは・・・わからない・・・としか、今は言えないなあ。」
「でもキアーラ姉さんは、ゴンドラの船頭になったアントニオさんの事も好きだったのでしょう?」
「ああ、アントニオのいる所は、歌を聴いたらすぐわかるって、いつも笑顔で駆けつけてくれていた。あいつに会ってあの笑顔を見れば、俺もその時は不安や悩みが吹き飛んで幸せな気持ちになったものだ。でもあいつがピエタへ戻ってしまうと、吹き飛んでいったはずの不安や悩みがまた俺の懐へ戻ってくるのだ。
 パオラさんよ、もし今ピエタにキアーラがいなくなったらどうなると思うかい?」
「それは・・・皆が困ると思うわ。」
「そうだろう。皆とはピエタの音楽仲間たちだけではないのだよ。ヴィヴァルディ先生や教会の関係者たち。その関係者には当然ピエタ慈善院を運営する人も含まれる。それにピエタのコンサートをなにより楽しみにしている多くのヴェネチアの人々、そして多くの他国の人たち、その外国人を受け入れる多くのホテル、レストラン、それと彼らに群がる女性たち、そして我々ゴンドラ漕ぎなど、皆が困るのだ。つまりあいつ、いやキアレッタはそんなにも大きな存在になっているのだよ。もし俺たちが結婚したらキアレッタがピエタからいなくなるのだ。それはできないだろう。俺が結婚しようと言うと、あいつは多分ピエタを出て俺と結婚するだろう。だからこそ俺はあいつに結婚しようとは言えなかったのだ。だが、俺はもう28歳だよ。」
 アントニオの話はパオラにもよく理解できた。アントニオの人柄が優しい口調によく表れていた。だからこそパオラはなお一層残念で仕方がなかった。こんなにいい人なのに、どうしてキャラは結婚できないの・・・