ピエタの男の子(1)


(僕も一応男の子だよ〜)
 ピエタの孤児院は、もともと海運国家ヴェネチアの『負の遺産』だった。負とは、海という場所に命を預ければ命の元本保証すら無いという負(リスク)であり、遺産とは、その為の保険が存在したという事だ。だとすればヴェネチアは、遺産の充実に国家をあげて取り組まなければならなかったのだ。
 その遺産の一つが孤児院だった。孤児院というからには当然男の子もいた。ピエタでは男の子には、船大工や石工などの職業訓練を受けさせた。16歳になった男子はピエタを出て、訓練を受けた職業に従事していった。だが15歳未満の男子で声がいいと、特別に『合唱の娘たち』の中で一緒に歌う事ができた。それは練習の時だけではない。演奏会でも『合唱の娘たち』に交じって一緒に歌えたのだった。声変わり前の男の子の声は『天使の声』と表現されるように、美しさを超えた別格の響きがあった。その男の子が『合唱の娘たち』に入れば、さらに素晴らしい響きになったであろう。しかもピエタの演奏会では、『合唱の娘たち』の顔が聴衆から見えないように、細かい格子で遮られていた。格子の中で歌っている『合唱の娘たち』を人々は『ナイチンゲールの鳥かご』と称して絶賛したのだった。