ヴェネチアの事情


(山ちゃんとうとう50歳になったんだってさ)
 山ちゃんは来年から小説『調和の霊感』をこのブログで連載しようと目論んでいるようだ。ただ今、その小説の人物や背景をちょっとだけ記している。

 ヴェネチアは海の上の国家だった。海運国家だった。海の上に大量の杭を海の中に打ち付けそこに街を形成していった。だから無数の運河が人々の重要な交通網になり、そこでゴンドラが必要になってくるのだった。しかも周りの海はラグーナと呼ばれる潟に囲まれている。これがまた外部からの侵入を拒んでいた。この地形(ラグーナ)を理解していない船は座礁してしまう。そしてそれを理解している一部のヴェネチア人は歩いてでも海を渡る事ができた。ヴェネチアはまさに海の要塞だったのだ。当然のように海運国家になり貿易が主力産業になった。ヴェニスの商人たちだ。
 さてそんな海での仕事なので当然危険とも隣合わせだった。それに他国との海での戦争もあった。主にトルコなどの貿易における利権争いだったのだ。当然それによって多くの死者がでる。死者が出れば孤児も出てくる。そんな事情があって、ヴェネチアでは孤児院が充実していたのだった。その孤児院の一つにピエタがあった。そこでヴィヴァルディが女子合奏団を指導し、多くの協奏曲を作曲したのだった。その演奏会は内外で評判になり多くの人々がその演奏会に聴きに来た。その収益がまた孤児院経営の貴重な資源になったのだ。素晴らしいサイクルではないか。
 孤児院が充実していた訳はそれだけではなかったらしい。それは有名なヴェネチアのカーニバルに関係があるようだ。