どうして居酒屋なの?


(へい、いらっしゃいませ)
 フルート吹きから居酒屋のおやじに転身した、というと唐突な話のようだが、山ちゃんはそうなる運命だったのだと思っているようだ。なんたって山ちゃんは湯田温泉の歓楽街のど真ん中で育ったのだった。しかも両親は深夜まで仕事をしていたので、高校生の時は酔っ払いの声がする中で夜中まで練習していたらしいのだ。高校生の時は自分で弁当を作って持っていき、夜中の夜食は山ちゃんが作って、仕事が終わった両親と一緒に食べていた。
 日本の大学では、夜9時まで練習してから親友と買い物をして親友の家で山ちゃんが晩御飯を作って食べて帰る毎日だった。ドイツ時代は完全なる自炊でほぼ毎食何かを作っていた。(それが今ここでいかされるとはね〜ルナ)
 そんな訳で、山ちゃん8月末に廃業を決めてからは迷う暇なく活動を始めたのだった。9月に入って、今まで奥様がしていた料理を山ちゃんが始めた。同時にお店探しを行った。どこも結構高くて月10万以上出さないとなかった。少し迷ったが「その位出してでもやろうという意気込みがないとできない!」と決心した。そうしたら格安のしかも居抜き(前の人が使っていた調理器具や皿などがそのまま残っている)物件が見つかったのだ。知人が探してくれたらしい。すごく条件が良くて希望者がたくさんいたが、オーナーさんがなぜか、素人の山ちゃんが気に入ったのだという。(世の中奇特な人がいるものだなあ・・ルナ)即契約した山ちゃんは、経費を節約するため内装を自分でする事にした。天井は白いペンキで塗り、壁は珪藻土で塗り、木の部分は柿渋を塗った。作業をしていると近所の皆が声を掛けてきて、仲良くなった。なんたってみんな先輩や後輩だ。同級生の米屋や後輩の酒屋も声を掛けてきた。同級生のタクシーの社長は先輩の肉屋を紹介してくれた。山ちゃんは苦労しないで多くの人と知り合った。
 こんな事もあった。お店の斜め前が魚屋だった。山ちゃんが外でペンキを塗っていると、そこのおやじがやってきた。少し話をしてから山ちゃんが「母が、僕が小さい頃にここのお兄ちゃんにかわいがってもらっていたと言っていた。」とそのおやじにいうと、「うん、でとちゃんでしょ!」山ちゃんですら忘れていた幼少の頃の呼び名が、魚屋のおやじの口から出てきた時はびっくりした。それが湯田温泉なのだ。