山ちゃん、一時帰国をする


(仲良しなのだ)
 1987年春、久しぶりに日本へ帰った山ちゃんだった。久しぶりだと言ってもたったの2年ぶりくらいなものだ。それでも2年ぶりの日本は新鮮だった。25年たった今でも新鮮に覚えている事を挙げてみよう。まず何と言ってもお札が変わっていた事だ。確か1、2年前に新しくなったと記憶している。情報で知っていたが実物を見ると感激だった。長年馴れていた聖徳太子の一万円札が福沢諭吉に変わっていたのには感慨深いものがあった。あと、ポストの赤も新鮮だった。(ヨーロッパはどこも黄色だった)それから照明が蛍光灯で眩しいくらい明るかった。(ヨーロッパは電灯で明かりを抑えていた)そして街中、音が氾濫していて3日で耳が疲れてドイツに帰りたくなった。
ヨーロッパは日本ほどBGMが氾濫していない。デパートでもスーパーでも喫茶でもレストランでもBGMは流れていないのだ。ちなみに現在のスーパーの音楽の氾濫は特にひど過ぎる。魚コーナーでは魚の歌が流れ、野菜のコーナーではキノコの歌が流れと最悪なのだが、それに慣れてしまった自分が一番怖い。
帰りの新幹線の中ではみんな死んだように寝ているか、無表情の人人人!日本ってこんな国だったのか?と衝撃だった。あと、車の色も地味で面白くも無かった。こんな環境で音楽や美術など芸術を研鑽していくのは大変だろうなと実感した。
とは言っても、やはり久々の日本である。食べたいものがたくさんある。刺し身、寿司などなど。あと、日本酒も飲みたいし日本のビールもまた格別であった。日本はやはり食べ物がうまい。今でもそう思っているのだが、私は日本に生れてよかったと思った。