スロバキア滞在記


(こんな感じで何とか寝た・・・ふり)
 ここでは泊まれないと言われても困る山ちゃんは、必死で粘った。「街のインフォメーションで、ここを紹介してくれたのだからなんとかならないか?」
すると受付のおばさまが言った。「あなたが、ラオス人かベトナム人なら何とかできるけど。」この意味がわからない人のために解説しよう。当時チェコスロバキアなど東欧は社会主義国だった。で、同じ社会主義国または同盟国の人間でなら泊めてやろう。という話だ。するとそこに一人の青年が通りかかって、山ちゃんとおばさまとのやりとりを見ていた。そして青年はおばさまと話始めた。山ちゃんはもちろんチェコ語がわからないが、身振りや雰囲気で理解する限り、青年は自分の部屋に泊めてやると言っているようだ。おばさまは、それを否定していた。すると二人青年が加勢してくれなんとかOKをもらった。おばさんは、パスポートは受付に預けるように山ちゃんに言って、許可してくれたのだった。
 青年の部屋は14階で、しかもエレベーターなんてものはなかった。医学大学寮とはいえ工事途中の高層ビルのようだった。青年はシリアから来たと言った。
彼はドイツ語はもちろん、英語がしゃべれなかった。
ようするにコミュニケーションのとりようがなかったのだ。医学書をみせてもらったが、小学校の理科の教科書のようだった印象がある。
 結局山ちゃんは、疲れたからと言って寝たらしい。
シリア人青年は夜シリア人の仲間を自分の部屋に呼んで歌ったり踊ったり大騒ぎだった。山ちゃんは翌朝青年の部屋を出たのだった。完全な寝不足だった。