ウィーンでのクリスマス・イブ


(ルナピンスキーのクリスマス・ミサ)
 ウィーン2日目の朝、まずハンガリーの大使館へ行った。目的は観光ビザを取得するためだ。何度も言うが約25年前のヨーロッパは資本主義国家の西欧と社会主義国家の東欧に分かれていた。東欧に行くには現在みたいに自由に出入りできず、入国ビザが必要だったのだ。ビザは各国の大使館か領事館で取得しなくてはならなかった。だから山ちゃんは西ドイツにあるハンガリー大使館へ行くよりも、ウィーンで取得した方がめんどくさくてもその方が早かった。ハンガリーは当時社会主義国の中でも最も西に近い国だと言われていた。それはオーストリア・ハンガリー帝国からの伝統と地理的影響もあっただろうし、多くのハンガリー人がけっこう自由に行き来していた。だから大使館でビザを取得するのも結構簡単だった。費用は3000円くらいだった。次にチェコスロバキア大使館へ行って同様にビザを取得した。
 さてユースに帰ってみると、日本人観光客が同室にいた。2人組の若い大学生と1人の30歳近いテンションの高い男だった。あと別室にも日本人の女の子が何人かいた。テンション野郎がクリスマス・イブのパーティーをやろうと話を持ちかけた。自らすすんで、食材を買って料理して、女の子たちも呼んで一人で盛り上がっていた。もっとも山ちゃんはワインさえ飲めればよかったので、飲みながらその場の雰囲気を楽しんでいたそうだ。せっかくクリスマス・イブだからステファン大聖堂にいこうという事になった。テンション野郎が調子に乗って「バッハゆかりのステファン大聖堂」などとしったかぶって女の子たちに話していたから「バッハはぜんぜんゆかっていない」と山ちゃんは否定してやった。
 大聖堂のミサは荘厳で素晴らしかった。だが、飲みすぎていた山ちゃんは帰りのタクシーまでしか覚えていなくて、気が付いたらユースのベットの上で朝を迎えていた。周りはみんなまだ寝ていたので、一人ハンガリーへ向けて出発した。