山ちゃん、東欧への旅立ち


(誰か私を呼んだ〜?)
 山ちゃんは学生生活2年目の冬休みを東欧へ出かける決心をした。1986年の事だった。なぜ決心をしたと大げさに言ったかを説明しよう。
 当時の東欧は現在のロシア、当時のソヴィエト連邦の影響下の元、西側と冷戦状態であった。どんな状態だったかは依然ベルリンへ行った時の事を記したのであるが、他の東欧でも同様だった。つまり入国するにはその国の大使館へ行ってヴィザ(入国証)をもらわなければならないのだ。ようするにめんどくさいのだ。それに入国してもホテルは高いだろうし、安く泊まれるホテルがあるのか保証もない。つまりどんな旅になるのかまったくわからないのだ。しかし山ちゃんはどうしても行きたい国があったのだ。それはハンガリーチェコだった。ハンガリーはリストやバルトークの出身地で音楽の宝庫であった。チェコは当時はスロヴァキアと一緒になっていてドヴォルザークスメタナの出身地でありやはり音楽が盛んだった。本当はルーマニアブルガリアも行きたかったが、今回は前者の2カ国とその中間点になる音楽の都ウィーンへ行く事にした。そしてウィーンでハンガリー大使館へ行ってヴィザをとりハンガリーの首都ブダペストへ往復し、そしてチェコスロヴァキア大使館でヴィザをもらってチェコスロヴァキアの首都プラハへ向かう事にした。まずウィーンに行ってと簡単に書いたが、デトモルトからウィーンまで、まず一日がかりでミュンヘンに行きそこから列車に乗り換えてウィーンへ行かなければならない。ただ、ミュンヘンは演奏会などで何回か行っているのでユースホステルも美味しいレストランもわかっていた。だから少しは気が楽だった。
山ちゃんは冬休みになったクリスマス前にいそいそとデトモルトを一人出発したのだった。