音楽大学対抗コンクールへ行く(その2)

 もう1度しっかりと言っておく。山ちゃんはハンブルグ音楽大学へ、音楽大学対抗コンクールに出場したのではなく、見に行った。ようするに音楽大学内ではヘタだったという事だ。書いていると山ちゃんが今ここで言い訳をしている。言い訳は2つある書けと言っている。一つはヘタではなく上手い奴がたくさんいた自分もその一人だ。(なんだって)それに山ちゃんが入学した時にいた学生は結局3年後山ちゃんが卒業するまで誰も卒業しなかったんだって。何が言いたいかというと、それだけ長くアヒレス先生のもとで勉強している学生が多かったと言いたかったらしい。(だから何?それでも上手だったら選ばれただろうにとルナピンスキーは思っている。)
 コンクール会場はホールのような広い所ではなく、大練習室のような所で狭かった。しかし、夢のような光景が目の前に繰り広げられていた。審査員は各音楽大学の教授陣であったから普段映像や名前でしか聞いた事のない顔ぶれが一堂に会してしたのだった。
ミュンヘンのマイゼン、ベルリンのツェラー、ケルンのアドリアン、フライブルグのタツゥー、あとシュタルケ、ポールなど本当にそうそうたる面々だった。
そのマイゼンやツェラーなどと握手をして席に着いている我が師アヒレスを凄いなあと見なおした瞬間だった。
 学生たちの演奏も素晴らしかった。その演奏を聴くだけで大きな刺激になった。はっきり言って、その中に山ちゃんがもし入っていたら緊張してボロボロになっていただろうと本人が認めている。だからアヒレスがステファンを選んだのは間違いではなかったのだ。
そのステファンも緊張していた。結果は当然ながらマイゼンかツェラーの弟子が1番と2番だった。
ちなみにデトモルト音楽大学でアヒレスの前にいたのがマイゼンだった。そのマイゼンはその後たまたま、フランクフルトのヤマハで偶然会った時に、話した折「日本人は今いない。今世界中に20人以上の空きを待っている学生がいる。」と言っていた。つまり、そこの音楽大学の代表になる事は国際コンクールで上位入賞する力があるという事なのだ。はっきり言ってレベルが違ったのだ。