日本食にインド音楽


(こんな雰囲気だったのかなあ?)
 3泊目の夕食に日本食を作る約束をした山ちゃんにユルゲンが友人の家でそれをしようと言った。
 その日買い物をして友人宅を訪れた。メニューは「すきやき」だ。これが簡単だ。だがデトモルトでも薄切りの牛肉を手に入れるのは難しい。「紙のように薄く」と何度も言ってもなかなか薄くならない。
ましてやここはスイスのチューリッヒだ。それなりの厚さで妥協するしかない。
 さすがユルゲンの友人だ。変わった雰囲気の人だった。山ちゃんは大変好感がもてた。ユルゲンもその友人も何が変わっているか説明をするのは大変難しい。それどころか普通のドイツ人、スイス人を説明するのも難しい。だからどんな人間かは、勝手に想像して欲しい。ユルゲンはイタリアの講習会ではアレキサンダーテクニックの指導をしている以外はフルートの講習場の後ろでずっと仰向きで寝ていた。その彼女がトルコ人で、講習会で知り合った日本人が一年後訪ねてきて勝手に部屋を使っていいと言う。それだけで十分変わっていると思う。友人の方はインド音楽を心棒していた。実は山ちゃんもシタールというインドの弦楽器が好きだったので、彼の家に行くなりかかっていた音楽がシタールのラーガというインド音楽だとすぐにわかった。それを言うと彼は本当に喜んだ。そんな彼にユルゲンは恐らくこう言ったのだろう。
「去年知り合った変な日本人が今来ていて、日本食を作ると言っている。自分の所は匂いがすると嫌だから君の所でしたいのだけどいいかい?」
「お〜、いいとも。日本食が食べられるのか〜!ではBGMはインド音楽だな。」
(すごい想像力、妄想だなあ〜ルナ)
 という事でその夜は日本食「すきやきもどき」で盛り上がったのだった。そしていよいよローザンヌの講習会へ出かけたのだった。
後日デトモルトの寮に大量のテープが届いた。ユルゲンの友人からで全部シタールインド音楽だった。