いざトルコの地中海へ


(これもルナピンスキーのトルコ顔!)
 山ちゃんは留学時代の旅の中で後悔している事が二つある。一つは留学期間の最後の旅で北欧に行った時、旅行会社の手違いでフィンランドへ行けなかった事。(後日これに書きます)そしてもう一つは、今回の旅の中だった。首都アンカラからおそらくバスで3時間もあれば有名な世界遺産カッパドキアに行けたはずだった。でもその頃はカッパドキアを知らなかった山ちゃんは、ポスターの写真に興味を持ったものの、W氏が帰宅までのタイムリミットが近づいているから
南下しようと言う言葉に同意した。確かに身重になったW氏の奥さんが、1週間なら旅行をしていいと許可して急いで出発した旅だった。列車泊を含めてもう5泊している。とにかく急いだ。といっても山ちゃんにとってヨーロッパの旅とは想像できない位新鮮で楽しい旅だったがとにかく急いだ。だから急いで書こう。
 トルコ中部の町コンヤ近くで一泊した。夜は湖畔のレストランで大きなコイのような魚のフライを食べ、地元のトルコ人と踊って騒いだ。
 次の日はさらに南下して地中海に出た。アンタルヤ?だったろうか??そこからすぐにロドス島へ向かうつもりだったW氏に山ちゃんは、面白そうな島があるからそこへ行きたいので別行動しようと提案した。
W氏は折れて山ちゃんと小さな島へ小さなボートで渡った。電気も無い島で、泊まりは小さな小屋でしかも、ドイツ人の若いカップルと同じだった。ベットは2つしかなかったので山ちゃんはドイツ人にベットを譲った。そのかわり宿泊費は二人で500円だった。
その島は意外にもヨーロッパのクルーズ舟が5隻停泊していた。地元の子供たちが手漕ぎ舟で遊んでいたので1時間貸してくれと言ったら、3000円だと言ってきた。経済観念が滅茶苦茶だった。小さな山へ登ると人間の背丈大の石棺が何百と乱雑に並んでいた。いつの時代の何の墓かは今でもわからないがもしかして、ホメロスのオデッセイヤの時代かも?と、山ちゃんは言っているが、眉唾ものだとルナは思う。
夜は一軒だけの小さな飲み屋で食事をした。当然だがクルーズ舟の観光客も全員がそこで食事をした。トルコは意外にも言葉に困らなかったのだ。インテリなトルコ人は英語かフランス語かドイツ語が話せた。その飲み屋で何人かのインテリそうなトルコ人で話が盛り上がったが、山ちゃんが誰かに聞きたかった質問を、その男性が真っ先に釘を刺すように言った事で、結局今でも誰にも聞く事が出来ないでいるそうだ。そのインテリなトルコ人男性が愚痴るようにこう言った
「観光客はトルコの歴史も風土も勉強しないで好奇心 の質問ばかりする。例えば『トルコの男性はみんな 髪が黒いのにトルコの女性はどうして黒髪だけでな く金髪の人もたくさんいるのか?』などだ。」
確かにこう言われちゃあ聞けないねえ・・・ルナ