子供たちのコンクールを聴きに行く


(私たちもコンクールにでてみる〜う?)
 ある日山ちゃんは、レッスンを受けるべくアヒレス教授の部屋に入ると、そこには高校生らしき若い男の子がピッコロを吹いていた。ヴィヴァルディのピッコロ協奏曲だったのだが、それが本当に上手だった。特に山ちゃん自身がピッコロがヘタという事を考慮しても上手だった。まるでソプラノリコーダーを流暢に楽に吹いているような感じだった。アヒレス先生にその感想を素直に伝えたら、先生は嬉しそうに、自分が彼にフルートを教えている事、彼は高校生である事、今度若者のためのコンクールにピッコロで出場する事を話してくれた。また、ピッコロがフルートと違って難しい楽器である事を山ちゃんに話するフォローも忘れなかったアヒレス先生は、やっぱり素晴らしい人格者であった。結果、山ちゃんはそのコンクールを聴きに行く事にした。
 コンクールは実に楽しいものだった。自分が出場するプレッシャーを感じないで、若い才能に触れる事は最高に刺激的であった。ドイツの若い音楽家の演奏は素晴らしく衝撃的だった。みんな自由にのびのびと音楽を表現しているのだ。楽器はフルートだけでなくクラリネットなどいろいろな管楽器があった。大人のコンクールでは聴かれない、子供らしい表現がとっても印象的であった。日本の子供のコンクールでもありえない表現力だった。昔ルーブル美術館に行った時、館内で模写をしていた人たちがいたが、そのうち何人かは日本人には絶対に無い感性で模写していたのを思い出した。感性を言葉で表現するのは難しい。ただ、感性は洗練や完成度とは逆の方向性にあると山ちゃんは言う。例えばよく聞く感想で「上手いんだけど、面白くないねえ」などは、その事を表している。日本の子供たちの卓越した技術とそれを評価するコンクールは、彼らの素晴らしい感性の芽を逆に細らしてしまっていないか?などと考えながら、アヒレス先生の弟子がピッコロで出たコンクールを聴いていた。
 山ちゃんには中学時代からの親友がいた。彼は作家を目指していた。山ちゃんは彼とよく史跡や神社仏閣巡りをしていた。そこの解説文がつまらない事に触れ、彼はよく「日本は全てが官僚的なんだ。官僚的す なわち批判を恐れるがゆえに、中庸曖昧な表現しか 出来なくなってしまう。今の文学がそうだ。音楽も そうではないかい?」と語っていた。そんな親友との出来事を、ドイツの若者のためのコンクールを聴きながら思い出してもいた。
 山ちゃんの親友はその後、『鮎川賞』をとるほどのミステリー作家になった。名前は北森鴻という。ずっと山ちゃんとの親交が続いていたが、去年の今頃突然に逝ってしまった。だからこれは彼への追悼文でもある。最後に、その北森鴻の口癖を。「面白くなきゃ文学じゃあ無い。面白くなきゃ音楽じゃあ無い!」