音楽の父バッハゆかりの地ライプチヒへ


(これは山ちゃんが描いたバッハとその子供たちだ)
 山ちゃんは後輩たちがドイツへ来た事に興味はなかった。実際にこの時誰が来て、どんな演奏をしたのかは全く覚えていないのだ。(なんて薄情な奴だ!ルナ)ここで山ちゃんが悪態つく「どうしてライプチヒへ行ったのか覚えていただけまだマシだ!」(たしか後輩って女の子だよな〜?)
 その記憶にない後輩に会いにライぺチヒの彼女たちが宿泊した日系のインターホテルへ向かった。コーヒーを頼んでやっぱりここに泊まらなかったのが間違いではなかった事を確信した。それは味ではなく料金だ。間違いなく西ドイツで飲むよりはるかに高額だった。もっとも西ドイツで高級ホテルに行った事はまだなかった。後輩たちの演奏会を聴きに行ったはずだが、現在記憶に残っているのは演奏場所が市庁舎のような所の大きな部屋だった事と、演奏中ずっと窓の外を見下ろしていた事。通行人たちが集まっていて、山ちゃんが見ていた窓の方向を楽しそうに見上げていた事だ。あとはバッハゆかりのトーマス教会へ行った。建物全体が黒ずんでいた車の排気ガスが原因らしい。教会前に立っている?バッハ像も黒ずんでいた。
 山ちゃんは夕方にライプチヒから車で約1時間の、ヘンデルが生まれた街ハレへ行った。確か知り合いの友人のドイツ人が迎えに来てくれたのだがよく覚えていない。だが、シャワー無しというホテルは他の部屋と変わらない設備があり、ホテルのレストランはかなり安く食べられ、しかも東ドイツマルクの支払いが可能だったので、レストランにある中ではかなりいい物を食べたが贅沢なものはなかった。つまりポークソテーぐらいでもこの国では贅沢な逸品なのだった。
 翌日はハレを観光したのだが今でも記憶に鮮明なのは、博物館の中で18世紀の中国家具を女性の案内員が「ここに描かれているのは日本の着物です。」と説明していた事くらいだ。ハレは大きな街ではあったが、見所が少なくあまり長居出来なかった。山ちゃんは再びライプチヒに行って恒例の?楽譜のお殿様買いをしてデトモルトへ帰った。