2つの顔を待つ街ベルリンへ


(これはルナピンスキーの壁だよ〜)
 山ちゃんの乗った列車は西ドイツから東ドイツへ入って行った。線路沿線はひたすら平原が続き列車からはほとんど町の様子を見る事は出来なかった。西ドイツから西ベルリンへ行くだけだとビザはいらなかった。車掌が来て切符とパスポートを確認して行った。
列車はベルリンの西側に着いた。そこはまさに「陸の孤島」と呼ばれるにふさわしい街並みだった。西ドイツでも他の街では見られないような華やかさがあった。美術館やブランデンブルグ門などを観光してから『ベルリンの壁』博物館へ入った。中には多くの写真やとともに人が中に忍び入って西へ脱出したという旅行かばんがあった。こうしてかばんに忍んで多くの人々が脱出し、見つかったりして失敗した多くの人々が殺されていった。写真やビデオはもっとリアルであった。そこには『ベルリンの壁』が一夜にして作られたものではなかった事が写し出されていた。ドイツが敗戦したある日ベルリンの街の道路が大人の膝くらいの高さの鉄条網で張り巡らされた。子供たちはそれを飛んだりして遊んでいる。不吉な危機感を感じた人はそれをまたいで西側へ逃げたが多くの人は一時的な事だと楽観した。鉄条網はやがて壁へと変わっていく。
壁の境にあるアパートの窓から飛び降りて逃げて行った人々もいた。そして壁が築かれその周りの建物は壊されベルリンは完全に東西に二分された。そしてドイツの国中に分断が広がった。その分断は親子兄弟ですら分断されるという悲劇が生まれたのだった。
 西ベルリンの栄華は東に対するプロバガンダ(宣伝効果)みたいなものだった。その一つがベルリンフィルハーモニーオーケストラだった。陸の孤島・西ベルリンの人々がストレスを感じて出ていかないように世界のトッププレイヤーを集めて世界最高峰のオーケストラをつくりだした。それを指揮者カラヤンが独裁的に音楽とプロモートを支配した。山ちゃんはカラヤンの指揮で演奏するベルリンフィルハーモニーをレコードで聴いて育った。まさに原点に立っていたのだった。そしていよいよ東ベルリンへ入った。