イタリアの次はベルリンだ!


(なあに〜、まだまだ夏休みだって〜!)
 ドイツの大学の夏休みはとにかく長いのだ!7月の中頃から9月下旬まで休みになるそうだ。山ちゃんはアヒレス先生に夏休みはどうするのか尋ねたら先生は「もちろん家族でバカンスだ。今年はイタリアにする か南フランスにするか迷っている。もちろん全く音 楽無しだ。で帰ってきて9月から練習を始めるん  だ。だからヤマダも9月にはしっかり練習をするん だよ。」だって。
 それで、イタリアのガルダ湖畔リヴァの講習会からデトモルトへ帰ってきたのが8月のまだ上旬。夏休み終わりまでまだ1ケ月以上あるし9月には練習しろ!っという先生の言いつけを守るまでもまだ時間がある。しかもだ、リヴァからの帰りの道中でデトモルトトロンボーン専攻日本人先輩とスイスのアルプスや
フランスのアルサス地方を遊んで帰ったのがまだ8月なのだ。その事をこれに記すと本当にこのルナピンスキーのブログ『山ちゃんのドイツ留学狂想曲』が終わるまで1年以上かかるので止めておく。だが山ちゃんは夏休みがまだあるし、イタリアでの講習会が大変有意義になってフルートも上手になったと勘違いしていたので、かねてから気になっていたベルリンへ行くことにした。
 山ちゃんがドイツにいた頃はドイツという国は西ドイツと東ドイツに分かれていたそうだ。西ドイツは現在のドイツの母体である資本主義で東ドイツ社会主義国だった。ドイツは第2次世界大戦に負けて敗戦後のどさくさからソヴィエト(現ロシア)に国土の約3分の1を占領され東ドイツになった。ややこしいのはその次だ!東ドイツの中にある首都ベルリンの中に東ベルリンと西ベルリンがあったのだ。まるで東京の中に東トウキョウと西トウキョウに分かれその境は壁で仕切られて、人々はそこを自由に行き来出来なくなっていた。そのような状況がベルリンだったのだ。ちなみにベルリンフィルハーモニーは西ベルリンの象徴でもあったのだ。山ちゃんはそのベルリンへ行くことにしたのだ。しかもここは絶対に書けと言う。しかも書かないと散歩に行かないと脅す。だから明日からはベルリンでの事を書くことになった。