本当に賢い犬とは?


(梅雨があけ、カッパはいらなくなったが・・)
 今朝は初めてお散歩で山ちゃんに反旗を翻した。「もう行かない!」と抵抗したのだ。山ちゃんはいったん家へ戻り、私を置いてライヴィッチと二人でお散歩に行った。だいたい早朝とはいえ暑すぎだ。もちろん公園に行けば楽しいぞ!だけどなぜ歩いて公園に行かなければいけないか?そしてなぜ山ちゃんだけが自転車に乗っているのか?・・・私はゆるせない。
 それにしてもライヴィッチのあの単細胞さが不思議だ。今朝も暑いのに山ちゃんの自転車の速さにに合わせて走って行った。考えてみればライヴィッチは誰が帰ってきても、あるいは朝起きてきてもシッポを振って出迎えている。私はだいたい寝ているのでそのまま挨拶程度にシッポだけ振ってやる。すると奥様でも山ちゃんでもむこうから挨拶に来る。
 酔っ払らった山ちゃんの理不尽な「ちょっと来い!」という要求にもライヴィッチはけなげにも従っている。私は当然無視をする。
 私が一番不思議なのは、人はこんな私でなく単純なライヴィッチのような犬を「賢いねえ〜」って褒める。おい、違うぞ!ライヴィッチは何にも考えていないだけだぞ!それにくらべて私はいつも考えている。嫌なものは嫌と言える。ゴハン前とお散歩前の『お座り!』という理不尽な要求も最初は反発していたが、そうするとゴハンもお散歩も無くなるので仕方なしにやってやる。気まぐれだと言われているウンチだって草が可哀想だからアスファルトの道の上でする。そう、私は考えられる賢い犬なのだ!人間の方がバカだから、自分たちよりバカな犬を『賢い犬』と評価したがるのだ。わかってるか?山ちゃん!