フランキスト(3)


(フランケンシタインではなくて?)
 フランクの名曲にヴァイオリンソナタがある。この曲、数あるヴァイオリンソナタでも演奏される回数が多い曲の一つだろう。しかも、ヴィオラやチェロ、そしてフルートでも演奏されるのでいろいろな聴衆が耳にする機会が増えるのだ。僕は機会あって去年その名曲を演奏する事ができた。^¥−(これ今猫が踏んでいった行った跡)有難い事だ。だって、普通は僕達ソリストが演奏会を企画したり依頼されたりした時に、ピアニストに三つ指ついて「よろしくお願いします」と頼まなければならない立場なのだ。それが、ピアニストの方から演奏してくださいときたのだ。しかも僕の店のアップライトのピアノで練習してくれるのだ。しかもだ・・普段会話する機会もない若い女性が毎週練習しに向うから来てくれたのだった。これを書きながら幸せな体験だったと改めて実感している。
 フランキストのタイトルから話が随分離れてしまったが、これは僕の文章や話のいつもの癖だ。ただ、今回の核心を申すと、僕は今後ノアの方舟の5番目には絶対にフランクが入れるであろうという話だ。これも前回書いたっけ。
 なぜ、僕がこんなに浮かれているのかというと、春だから・・・でもあるが・・・曲を書き上げたからだ。最近ちょっとした曲を時々創作している。それで今回の曲は・・・可愛くて可愛くて仕方がない曲になった。昔作曲の先生が、「曲というものは子どものようなもので書いた瞬間から独り歩きするのだ!」と言われていたが、今回違う意味で実感している。というのは曲を子どもに例えると、少しでも立派な子どもにしたいといつも考えて創作している。それが中学生か高校生だかはわからないがそのように意識して創作している。ところが今回は幼稚園児のような曲なのだ。天真爛漫で、こうしたらいいのにと思いながらこれでもいいかと笑ってすませたく思った。とにかくどうしてこんな曲が書けたのだろう・・・と、可愛くて仕方がない曲になったのだ。だから僕は今浮かれている。偉大なるフランクのタイトルでこんな話になってフランキストに申し訳ない。もうフランクに関してのコメントはしません。で、深く重厚で豊饒なフランクの名曲の前では足元にもどころではなく、歯牙にもかけてもらえないのだろうが、僕にとってこの可愛くて愛する曲を捧げたい人は・・・残念ながら嫁さんではないが・・・いる!