ヴィヴァルディと老マエストロ


(ライヴィッチとルナピンスキーよ)
 ヴィヴァルディが老マエストロの部屋を訪れた時は、夜も更けていた。それでもこの街の賑わいが衰える事はない。だが目の前にいる老マエストロは確実に衰えていた。それも仕方がない。彼はもう90歳を軽く越えていた。老マエストロもそれを十分に自覚していた。
 彼はヴィヴァルディに、会えるのは今回が最後になるだろうと告げた。そしてヴァイオリンの製作設計図を再びヴィヴァルディに渡して言った。
「これは以前お前さんに渡した設計図よりもずっと精密に書かれている。お前さんにこれを保管しておいてもらいたいのじゃ。わしは長くは生きられない。だが息子は信用できないでなあ。わしが死んだら工房ごと売ってしまうかもしれん。だからこの設計図をお前さんに任せたいのじゃ。お前さんがウィーンで活動できるようになれば、これを使ってストラドをオーストリアで製作して広めてもらいたい。それからこれを。」
 老マエストロは2つのガラスの容器をヴィヴァルディに手渡した。
「これは?」
ヴァいヴァルディが訊くと、老マエストロは、
「これはニスだ。青い容器が下塗り用で赤い容器が本塗り用のニスが入っている。調合と塗りの方法はこちらに書かれている。下塗り用のニスは、昔は入手が困難だったが、今では高価だが簡単に手に入る。特にこの下塗り用のニスこそ我がストラドの秘密なのだ。」
そう言って設計図大の紙を手渡した。ヴィヴァルディは快く了承すると、老マエストロの健康を気遣って退出する事にした。ヴィヴァルディが後ろ姿を見せた時、老マエストロが重々しく声をかけた。
「ヴィヴァルディ君、ウィーンへ行くのなら急いだ方がいい。いよいよ彼も結婚するようだ。もし正式に決まったら、多くの国で大きな騒ぎになるだろう。」
 老マエストロの声を背中で聞いていたヴィヴァルディが、ドアを開けながら言った。
「はいっ、わかりました。あの娘には内緒にしておきましょう。ところでマエストロ、明後日の演奏会では、私が【四季】を独奏します。心を込めてあなたに捧げます。よろしければ聴いて帰ってください。」
「ああ、是非ともそうさせてもらおう。」