ヴィヴァルディ、ピエタに現れる(3)


(何が現れたのだ〜)
 キアーラはヴィヴァルディの創ったトリオソナタを一生懸命練習した。その結果ヴィヴァルディが言ったとおり、キアーラのヴァイオリンの技術は飛躍的に上達した。
 一年後のキアーラは、12曲もあったトリオソナタを、全て演奏できるようになっていた。しかも第一、第二どちらのヴァイオリンも楽譜を見ないで弾きこなす事ができた。キアーラは、ピエタ合奏団の中でも『天才少女』として特別な存在になっていった。それはピエタ内外でのヴィヴァルディの評価につながったのだった。
 当然ピエタ内では、若くて上手なキアーラに嫉妬する者も少なくなかった。特に年配の指導的立場にあった団員の、キアーラに対するいじめは露骨だった。
 練習しないといけない曲の楽譜は、他の団員は皆が持っていても、キアーラにはなかなか手に入らなかった。ピエタの合奏練習では、練習時間にも係らず、キアーラは雑事におわれた。合奏指導の先生を呼びに行かされたり、合唱指導の先生や合唱団員を合唱合奏合同練習に誘導する役目をさせられた。
 でもそのくらいは何でもない事だった。キアーラにとって、とにかく大変だったのは写譜という作業だった。写譜とは、作曲家のお世辞でも綺麗とはいえない手書きの楽譜を、誰にでも読めるように楽譜を綺麗に書き直す作業だった。
 ドの音かレの音かわからない音符なんて、いたる箇所にたくさんある。それどころか普通に楽譜のミスもある。つまり作曲家が書いた楽譜の誤字脱字はあたり前であり、あげくのはてに汚くてとっても読みづらかった。その楽譜を見ながら、作曲家に確認しないで校正しながら清書していく、それが写譜という作業だった。
 そして楽譜が間違えていれば、全て写譜した者の責任になる。だから写譜した楽譜には必ず自分のサインを入れるのだ。後日写譜を頑張ったご褒美が、作曲家と演奏家双方から怒られる、というような理不尽なシステムになっていたのだ。だから写譜には時間をかけて、集中して一生懸命に書かなければならなかった。完璧なる写譜、それは不可能と同義語だった。
 キアーラもその大切な写譜を頑張っていたのだ。頑張る時間は、当然先輩団員がくつろいでいる時間、そう一番プライベートがある時間で心休まる夜になる。しかし夜は長くても、明かりを灯す蝋燭は無駄にできない。だから誰よりも朝早く起きて写譜に励んだのだ。
 そんなキアーラの頑張りが、どれだけ彼女の演奏技術の上達に有益だったか。彼女は写譜を通じて、ヴァイオリンを持っていない時間も音楽の勉強ができたのだ。だから誰よりも早く、暗譜という楽譜を見ないで演奏する能力を身につける事ができたのだった。